Vol. 202|龍神絵師 長谷川 真弘
天翔ける神筆
東洋における龍は古来、人智を超越した力の象徴として、あるいは幸運をもたらす使者として、さまざまな姿で描かれ、親しまれてきた。誰も見たことがない幻獣でありながら、誰もが認知している点で、我々の精神世界の中に棲む特別な存在といえるだろう。
「龍神絵師」を肩書として創作活動に邁進する長谷川真弘(しんこう)さんは、その表現の細部にわたって神経を研ぎ澄ませる。幼い頃から墨画を嗜み、龍だけでなく仏画や立体造形を経て追求してきた技術と感性は月日を重ねるごとに鋭さを増し、呼吸すら止めて描くという一本の線に収斂していく。墨の濃淡のみで描かれた長谷川さんの龍。その眼光がもたらすのは、多くの人が抱く立身の志への激励か、悩み苦しむ衆生への慈しみか。もしかすると、命懸けで道を究めようとする長谷川さん自身を見据えているのかもしれない。
龍神絵師という肩書は珍しいですね。
龍は墨のみで表現します。龍を描ける絵師が数少なくなった現代でも、こういう古典的な龍を好む人は一定数いるんです。
基本的に受注はすべて人づてで、寺院や神社に納めることもありますが、圧倒的に多いのは会社経営者からの依頼ですね。設置場所は一般家庭や会社の壁面、寺社の天井などさまざまで、一点一点大きさも材質も異なります。絵を置く空間も含めての作品なので、依頼を受けたらまずは現地に足を運びます。その場に立った瞬間に完成した龍の姿が見えて、「はい、描きます」ということもありますが、逆にまったく見えてこない場合もあって、そういう時は率直にお断りしています。
納品先が寺社であれば、訪れた人が手を合わせたり願掛けをしたりと、信仰の対象になります。個人所有の場合も、会社の経営がうまくいくように、人生が好転するようにと、依頼主の真剣な願いが込められた存在です。それに応えられる作品でなければ意味がありませんし、だからこそこちらも命懸けです。イメージが見えてこない時はなんらかの理由があるはずで、それを無視して中途半端な仕事をするわけにはいきません。実際に大きな作品を描き終えた後は、精魂果てて心身ともにボロボロになります。
制作作業の内容について教えてください。
運べる大きさであれば、自宅の工房で1週間ほどで仕上げることが多いですが、壁画や天井画などは直接現地に通って描くこともあります。去年手がけた富士宮市大岩にある出水(いずりみず)不動尊本殿の天井画は、桧板に描いた縦2.3メートル横5.3メートルの大作で、社務所を借りて制作しました。下描きに1ヵ月以上、それを墨で描くのに約2週間かかりましたが、下描きを終えて筆を持ったら一気に描き上げる感じですね。
墨は後で消したり塗り重ねたりはできませんので、常に一発勝負です。描き始めたら飲まず食わずで一日15時間くらいぶっ通しということも珍しくありません。その間はある種の興奮状態で、食事も喉を通らないんです。作業を終えて寝ようと思ってもなかなか眠れませんし、睡眠中も脳裏でずっと龍の姿が見えている感覚です。描く時は必ず一人きりで、その空間に人を入れることはありませんし、制作期間中に人に会うことも極力避けます。
当然ですが日常生活もストイックになりますね。細かな作業をする指先の感覚が狂ってしまうので、普段から重いものは持たないようにしています。もちろん酒もタバコもあり得ません。日々、平常心でいられるように心がけています。描く線一本にも日常生活が表れてしまいますから。
それだけに、最後に龍の目を描いて、魂を入れて、一つの作品を描き終えた瞬間は、高揚感とともに身も心も崩れ落ちていきます。でも筆一本で依頼者の人生を変えられるとしたら、こんなに素晴らしいことはありませんよね。自分は龍にすべてを賭けていますし、龍を描くことは神事だという気持ちで取り組んでいます。
小学生の頃から龍や仏画を描いていたそうですね。
5歳から絵画を習っていて、コンクールでも入賞していたので、絵を描くことへの自信はありましたが、龍や仏画を描く小学生は珍しいですよね。
きっかけは小学5年生の時にいたずら描きした仏画です。特に信仰心があったわけでも、芸術家の家庭に生まれたわけでもありませんが、家族旅行で京都に行った記憶もあったせいか、当時習っていた書道の後に余った墨でなんとなく仏像を描いたんです。その絵を祖母が捨てるつもりで玄関先に置いていたところ、親しくしていた文具店の店主さんがたまたま見つけて、「これは面白い、続けた方がいい」と勧めてくれたんです。自分が仏画を描くことで大人たちが喜ぶのが嬉しくて、そこから作品を描き溜めていきました。30点近く描いたところで、6年生の時に児童館の一角を借りて初の個展を開催しました。
それ以降、今に至るまで仏画と龍を中心に描いてきましたが、自分のことを芸術家だとは思っていません。芸術という枠組みでは、ああしたい、こうしたいという自我というか、どこまでも自由に表現したい欲みたいなものが原動力になると思うんです。しかし仏や龍はある程度守らないといけない表現上の形式があって、その中でどう形にしていくかという点で、芸術家というよりも職人的な立ち位置に近いと感じます。
仏画の世界でよく語られる言葉に「己の念を入れるな」というものがあります。念を入れるのはその仏を見る人、拝む人であって、そこに作者個人の念を入れるべきではないという考え方です。自分もその掟に沿って、念や欲を入れないように意識しながら描いています。個人的に寺社に参拝することはありますが、それは信仰心やご利益目的というよりも、より良い作品を生み出すための精神力の強化と、支えてくれる人々や縁に対する感謝の気持ちを確認するための行為で、鍛錬や修行のようなものです。
己の念を
捨てて描く
絵師として活動してきた中でも、公立中学校の美術教師や海外でのライブパフォーマンスなど、幅広い経験をされていますね。
高校時代に将来の進路を考える中で、絵を描いて生活していくのは難しいだろうという思いもあって、教員免許を取るために大学へ進学しました。
卒業後は富士市内の中学校に美術教師として赴任しましたが、やはり自分の絵で勝負したい、多くの人の人生を変えたいと考えるようになり、1年で退職しました。その後は大学の研究室に戻って日本画を学び直し、同時期に武者修行として海外を巡りました。パリやニューヨークの路上で仏画を描くライブパフォーマンスをすることで、自分の力がどの程度通用するのか、墨で描く仏画が海外でどのように受け止められるのかを肌で感じたかったんです。その際の反響がきっかけとなって、フランスで開催される日本文化の博覧会ジャパンエキスポに招待作家として出演する機会を得ることもできました。
ただ、好意的な評価がある一方で、悔しい思いもたくさんしましたね。欧米の大都会は洗練された美しいイメージを持たれがちですが、実際にはゴミや汚物も散らばっている中で、多くの人々に素通りされながら、投げ銭をもらって生活するのは、精神的に厳しいものでした。自信を持って仏画を描く自分の隣で、素人がタップダンスを踊っていて、そちらの方に多く投げ銭が入っていると、「いつか必ず一流の場所で一流の仕事をしてやる!」という気持ちになりました。今では望んだ環境で仕事ができるようになりましたが、当時のことを思い返すと、いつも謙虚な初心に戻れるんです。自分にとってはきっと必要な経験だったんですね。
一般向けの仏画教室『金剛会』も主宰していますね。
教室を始めて6年になりますが、筆ペンを使った初心者向けの写仏体験と、個別指導で本格的な仏画を描くコースがあります。
教室に来られる方の多くは、ただ絵を上手に描きたいというわけではありません。何かしら悩みを抱えていたり、叶えたい願いがあったり、やはり仏を描くという行為自体に意味を感じるのでしょう。でも、仏画を描くのは大変です。文字を書く写経であれば一画ずつ休むことができますが、長い線をひと筆で正確に描く作業は、心が乱れていると苦痛でしかありません。人の心は一秒一秒変化しますし、描いた線を見れば、その人の心の状態が分かります。生徒さんの線の乱れを指摘したところから話を深く聞いていくと、最終的には人生相談みたいになることもよくあります。
ただ、この対話は自分自身にとっても貴重な機会で、徹底的に己と向き合う作品づくりを続けていると、外の世界への視野がどうしても狭くなってしまいがちです。たくさんの人の話を聞いて、その人生に触れることが次の作品への原動力になりますし、自分なりの形で社会に貢献したいという思いもあります。
長谷川さんがこれから目指す先は?
最近の世の中を見ていると、多くの人が漠然と生きているんじゃないかと感じます。自分はなぜこの仕事をしているのか、なぜ生まれてきたのか。もっと内省して、奥深く分析しながら生きる意識が大切ではないでしょうか。何らかの答えが見つかれば、その人の人生はより良いものになるはず。自分は奇跡的に筆一本で生きていけるようになりましたが、何事も中途半端に諦めていく人には「その道を本気で、命懸けでやったか?」と問いたい。全身全霊で取り組んで、自分を高めてくれるものに感謝してさえいれば、どんなことでもやれるはずだと信じています。
龍神絵師としては、狩野探幽(かのうたんゆう)を超えるのが究極の目標です。狩野探幽は江戸時代初期に活躍した狩野派の絵師で、11歳の時に徳川家康に拝謁して、天才と評されたといいます。自分が龍を描き始めたのも11歳で、そこにも不思議な縁を感じます。
探幽の描いた龍では、京都の妙心寺や大徳寺の天井画が有名ですが、各地に残る龍の天井画を見て回った中で、探幽だけは別格でした。龍の何たるかをすべて知り尽くしていて、それでいて荒れているというか、やけくそというか。上手いも下手も超えて、目の前にいる龍に押し潰されるような存在感があるんです。自分にはまだこんな龍は描けない。だからこそ、この人は超えないといけないと強く感じました。
現時点での探幽との差は、型破りなところ。自分にも型はあるとしても、まだそれを自ら破れてはいません。心のどこかで丁寧に描こうとしていて、龍がおとなしい、優しい。探幽を超える瞬間が訪れるとすればやはり、まだ見ぬ人生史上最大の龍を描くその時だろうと予感しています。
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
長谷川 真弘
龍神絵師
富士宮市出身・在住(取材当時)
はせがわ・しんこう/幼少期より仏画や龍を描き始め、小学6年生で初個展を開催。富士根南中、星陵高校を卒業後、常葉大学造形学部造形学科に進学。美術教師として公立中学校での勤務を経て、大学では計6年間日本画を学び、幅広い表現手法を習得。2012年より国内外の街頭で仏画を描くライブパフォーマンスに取り組み、パリ、ニューヨーク、ソウルなどで活動。投稿した動画が関係者の目に留まり、2015年にフランスで開催されたジャパンエキスポに招待作家として参加。2017年より『仏画教室金剛会』を主宰し、一般向けに仏画の指導を行ないながら、2018年以降は龍神絵師としての活動に注力。身延山久遠寺をはじめ、数々の寺社や企業からの制作依頼に応じつつ、各地での個展も精力的に開催している。
龍神絵師 長谷川 真弘ウェブサイト
Nutshell 〜取材を終えて 編集長の感想〜
天才とは「中二病」の発展形だと思っています。中二病という言葉が初耳の人のために解説すると、まだ自我が確立途上にある思春期の頃に、夢も憧れも誇大妄想もごっちゃになって自己認識が暴走する現象、と定義できます。誰しも覚えがあると思いますが、中学2年生くらいで発症し、そのうちありたい自分と実際の自分のギャップにうまく折り合いがつけられるようになって、現実的な大人として落ち着いていきます。
でもなかには、心の熱量が強いあまり現実のほうを夢に引き寄せてしまう人がいます。天才とはたいていそういう人たちです。宮崎駿のアニメ作品『風立ちぬ』では、少年の頃に見た飛行機への夢をずっと追い続ける天才航空設計士の生涯が描かれました。主人公にとって「夢」の追求とは自己表現とか自己実現というよりも、むしろ自分自身が命をかけてその夢に奉仕する立場のように見えました。まるで一生をかけた美しい熱病みたいです。
長谷川さんにもそれと同じものを感じました。仏画や龍を描き始めた少年時代からずっと、長谷川さんには天駆ける龍のしっぽが文字通り見えているのだと思います。そして生涯かけてその姿を追いかけ続けるのでしょう。まるで自らの魂を龍神へ捧げるようにして描くからこそ、長谷川さんの筆筋には神がかった凄みがあるのです。
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