Vol. 127|和太鼓奏者 和迦

打て!和のエモーション

富士市で夏を告げる風物詩といえば、吉原祇園祭を思い浮かべる人は多いだろう。勇壮な山車の引回しと並んで目玉となるのが宮太鼓の共演で、毎年ゴールデンウィークを過ぎた頃から吉原周辺のあちらこちらで太鼓の練習の音が聞こえてくると、「今年も『おてんのさん』(祇園祭)の季節だねぇ」と感じ入るのが吉原っ子というもの。

祇園祭に限らず日本では祭りのイメージと強く結びついている太鼓だが、楽器としてのさらなる可能性を模索しているのが、富士市在住の和太鼓奏者、和迦(わか)さんだ。厳しいプロの世界で心身を鍛え、海外を舞台に活躍するフロントランナーだからこそ感じられる、和太鼓の魅力と奥深さについて熱く語る和迦さん。演奏時の気迫に満ちた表情からは想像もつかないほど、インタビュー中に時折こぼれる笑顔はチャーミングだった。

富士市を拠点にフリーの和太鼓奏者として活躍されている一方で、一般の方向けにもレッスンを行っているそうですね。

「富士山和太鼓道場」という教室を富士・沼津・清水・静岡で開講しています。レッスンは少人数制で、現在は全体で約40名の生徒さんがいます。大半は未経験・初心者からのスタートで、意外かもしれませんが、8割が女性です。和太鼓を始めようと思った理由を聞くと、昔からずっとやってみたかったという方が多くて、それだけ太鼓に対して馴染みのある土地柄なんだと感じます。

また、音楽とスポーツ両方の要素を同時に楽しめるのが和太鼓の魅力で、音楽が好きだけど楽器は未経験という人、身体を動かしたいけどスポーツは苦手という人には最適だと思います。プロを目指すなら話は別ですが、趣味としての和太鼓は初心者でも入りやすいものです。楽譜などを読む必要もありませんし、とりあえず叩けば音は出ますからね(笑)。ストレスの解消はもちろん、一定のリズムを刻む大きな音に包まれることで一心不乱になれたり、独特な心地良さを味わえたりします。体験ワークショップも定期的に開催しているので、気軽に足を運んでもらえればと思います。

和迦さんご自身は、かつてドラマーとしてプロを目指していたと聞きましたが。

中学1年の頃、当時流行っていたビジュアル系ロックバンドに憧れて、友達とバンドを組んだのが最初です。特に音楽が得意だったわけでもなく、バンドを組むにあたっても他の友達が『俺ボーカル』、『じゃあ俺はギター』となって、仕方ないから自分は残ったドラムでもやろうかという流れで(笑)。ドラムの機材も練習する場所もないので、何度か音楽スタジオを借りたりもしましたが、学校の文化祭で2〜3曲演奏する程度でした。高校では軽音楽部に入って毎日練習できたこともあって、さらに熱中していきました。ジャンルとしてはパンクの曲や、大学に入ってからは歌詞のないインストゥルメンタルの曲も好んで聴いて、演奏するようになりました。

ドラマーとして影響を受けたのが、柏倉隆史さんというミュージシャンです。演奏のテクニックが優れていることはもちろんですが、柏倉さんはそれ以外の部分で、ドラムでこんなリズムを作ってくるのかという意外性や独創性があって、演奏中のフォームや表情も含めたエモーショナル(情熱的)なところに惹かれたんです。音楽好きの間で使う褒め言葉として、『この人、エモい!』なんて言うこともあるんですが、顔も含めた身体全体で演奏する、自分の内面を最大限に表現するというスタイルは、和太鼓の演奏にも大いに通じる部分があります。

そんな中で、和太鼓に出会ったきっかけは?

大学時代まではドラムばかり叩いていましたが、どれだけ練習を積んでも、テクニックで一流とされる人の域には行けないという大きな壁を感じたんです。そこで自分自身の表現の幅を広げる目的で、他のいろんな打楽器に触れるようになりました。ジャンベという西アフリカの伝統的な太鼓を始めたのもその頃で、バチは使わず素手で叩く楽器ですが、発祥の土地に由来する魂のようなものを感じさせる音色に魅力を感じました。それと並行して、水時ドラムの練習で使っていたスタジオでアマチュアの和太鼓グループと知り合い、練習に参加させてもらうようになったのが、和太鼓との直接的な出会いです。

和太鼓の世界を知るにつれて本格的に学びたいと思うようになり、プロの和太鼓集団でメンバーを募集しているところを調べた結果、たどり着いたのが『鬼太鼓座(おんでこざ)』でした。当時の鬼太鼓座は富士市を拠点にしていたので、大学卒業後に思い切って入座したのですが、振り返ってみれば、ここで僕の人生が大きく変わったといえますね。

和太鼓を叩く和迦さん

鬼太鼓座といえば、和太鼓を舞台芸術の域にまで高めた草分け的な演奏集団で、世界的な評価も高いことで知られていますね。

どうせやるなら最先端の、一番厳しいところでやりたかったんです。ひと月で500キロ以上走り込むなど、鍛錬も共同生活も過酷なことで有名な鬼太鼓座ですが、細かいテクニックよりも、ひたすら根性、根性という考え方で、心身の強化に明け暮れる毎日でした。座員に対しては『来る者拒まず、去る者追わず』が徹底されていて、入座しても3ヵ月も続かずに辞めていく人がたくさんいました。正直なところ、僕も入座当初は和太鼓一筋で生きていこうとまでは思っていなかったんですが、そういう精神論的なアプローチが肌に合っていたようで、逆にどんどんのめり込んで行きました。

限界まで走り込んで、周りから叱咤されて、挫折感を味わって、自分の内側に強いストレスが加えられていく中で、当然ながら悔しさや怒りが湧いてくるわけですが、そのパワーを自分や同僚に向けるのではなく、舞台で爆発させて、演奏として表現できるかどうか。自分で自分の道筋をつけられるかどうかが問われるんです。ある舞台で怒りの気持ちを太鼓に叩きつけるように演奏したら、座長に『それだよ!その打ち方でやってくれ!』と褒められたんです。それ以降は自分で心のスイッチが押せるようになったというか、舞台に上がる際の気持ちの切り替えができるようになりました。以前は心のどこかで『間違えたらどうしよう』という弱い気持ちを持ったまま舞台に上がっていたんですが、それは演奏に表れるんですね。自分の弱さを跳ね返すだけの覇気を持って臨まないとダメなんだと実感して、和太鼓奏者として一段上に立てたような気がしました。当時よく言われたのは『舞台では人間が出る』という言葉で、私生活も含めてふだんからどういう行動や振る舞いをすべきかということも、強く意識するようになりました。

和太鼓を
もっと身近に
もっと自由に

まさに「鬼気迫る」といった和迦さんの演奏を拝見すると、和太鼓と向き合う姿勢や強い思いが伝わってきます。

鬼太鼓座は海外公演も多く、アジア・ヨーロッパ・中東・南米など、これまでに世界各地で演奏してきましたが、形は違っても打楽器は世界中どこにでも存在するので、理屈がいらないというか、感覚で伝わるものがあると思うんです。鬼太鼓座には7年間在籍して、ある程度やり切ったという思いもありましたし、その後結婚を機に一度は別の仕事に就きましたが、やっぱり和太鼓がやりたくなるんですね。フリーの奏者として現在に至りますが、ありがたいことに鬼太鼓座には今でもサポートメンバーとして公演に参加させてもらっています。

和太鼓の演奏で一番重要になるのは腕力や握力ではなく、足腰です。鬼太鼓座でひたすら走らされたことにも理由があったんだと、後になって気づきました。今でも月に200キロ以上は走っていて、市民参加型のフルマラソンに出場することもありますが、個人的には走ったからすぐにどうなるということよりも、走らないと不安になるから走るという感じです。「今日走らないことで失われるものがあるのに、本当にそれでいいのか?」という自問自答に心が支配されて、走らない日が何日か続くと、もう走ることしか考えられなくなるという、軽い中毒ですね(笑)。

奏者として、指導者として、和太鼓という文化を広めていく上で一番伝えたいメッセージは?

基本的に日本人は外国のものが好きですよね。日本のものはどこか古臭くてダサいという人もいますが、自国の文化をそういう風に捉える感覚は、世界中を見渡しても稀だと思います。僕は日本の伝統楽器である和太鼓を通じて、既存のイメージを超えたところにある感動を伝えていきたいです。それと同時に、和太鼓が受け継がれてきたのはあくまで楽器としてであって、形式や流派などの伝統を重んじることが最優先ではないと考えます。つまり、表現そのものは自由でいいんです。富士地域は祭りなどを通じて和太鼓に憧れを抱いている人が多いですし、僕もよく共演している富士市比奈の『富士山第六天太鼓』をはじめ、地域に根ざして盛んな活動をされている団体もあります。

ただその一方で、誰でも気軽に叩けるものではなく、決まった時期に決まった地区の人が集まってやるもの、というイメージもまだ根強いようです。和太鼓は本来誰にでも楽しめるもので、実際に東京都の離島・八丈島には即興で太鼓を叩く『八丈太鼓』という郷土芸能があるんですが、港に船が来た時や自宅の庭でパーティーをやる時など、子どもからお年寄りまで一緒になって、日常的に太鼓を叩くことが習慣として根付いているそうです。せっかく太鼓に馴染みのある富士地域ですから、その存在をもっと身近なものとして感じられる文化を育てていきたいです。友達とカラオケに行くような感覚で、「今日はいいことがあったから太鼓でも叩こうか」とか、「気分転換に太鼓聴きに行こうよ」っていうくらいになれば、最高ですよね。

和迦さん

取材・撮影協力:富士山第六天太鼓

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa

和迦
和太鼓奏者
和太鼓教室『富士山和太鼓道場』主宰

1983(昭和58)年1月23日生まれ(34歳)
神奈川県横浜市出身・富士市在住
(取材当時)

わか/本名・岩林裕介。10代の頃からドラムを始め、さまざまな音楽ジャンルのパンドを経験。自己表現の可能性を模索し、数多くの打楽器に触れる中で、和太鼓に出会う。和光大学経済学部経営学科を卒業後の2005年、和太鼓プロ集団「鬼大鼓座」に入座。共同生活と厳しい鍛錬の日々に身を置き、以後7年間にわたって中心的メンバーとして活躍。日本全国をはじめ、世界約20ヵ国で500回以上の公演を経験する。2013年より富士市を拠点にソロ奏者としての活動を開始。現在は富士・沼津・清水・静岡にて和太鼓教室「富士山和太鼓道場」を開講し、和太鼓の魅力を発しながら、鬼太鼓座のサポートメンバーとしても各地で精力的に活動を続けている。2歳の女児の父でもある。

富士山和太鼓道場
公式ウェブサイト:https://waka-wadaiko.jp/

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