Vol. 126|シンガーソングライター 結花乃
心が帰る場所
吐息のような繊細さと宝石のような透明感を併せ持つと評されるその歌声を、紙上では直接聴いてもらえないのが残念でならない。敏腕音楽プロデューサーも惚れ込んだという才能を今まさに開花させつつあるのが、富士市出身・在住で医大卒、看護師という異色の経歴を持つシンガーソングライター、結花乃さんだ。
地元では今年2月に発表された富士市のブランドメッセージソング「いただきへの、はじまり」を作詞・作曲から手がけ、自ら歌う結花乃さんは、昨年プロデビューを果たした後もあえて富士市に住み、活動を続けている。今回のインタビューで語られた故郷への思い、そして同じように夢を追う若者へのメッセージは、まるでそれ自体が彼女の作品であるかのような輝きを放っていた。
結花乃さんは富士市のブランドメッセージソングを歌うだけでなく、作詞・作曲も手がけたそうですね。
光栄なことに昨年9月のデビュー直後に、富士市のブランドメッセージソング、また12月に開催された全国工場夜景サミットのテーマ曲の制作依頼をいただきました。「いただきへの、はじまり」については、タイトル以外は比較的自由に作らせていただきましたが、富士山頂を目指してみんなで一緒に進んでいけるような、前向きなイメージの曲になっています。富士市民にとって富士山は珍しいものではありませんが、きれいに見える日は私自身も励まされますし、何かいいことがあるかもって思えます。仕事を終えて東京から帰ってくる時も、電車の窓から富士山が見えるとホッとします。日本一の山に見守られていることで、この町で暮らす私たちは迷わずに歩いていけるんだよというメッセージを込めました。
とても明るい印象の結花乃さんですが、幼い頃は内向的な性格だったそうですね。
子どもの頃は人前で歌うどころか、人と話すことも苦手で、友達も作ろうとしないので、少しでも多くのことに興味を持てるようにと、ピアノ、絵画、そろばん、水泳、習字など、両親がいろんな習い事をさせてくれました。音楽は好きで、ピアノは今の仕事にもつながっていますが、当時は絵画が一番楽しくて、幼稚園から高校まで習っていました。これまでに発表したCDのジャケットやプロモーションビデオでも、私が描いたイラストを使っているんですが、こんな形で役に立つとは思いませんでした(笑)。でも絵画に限らず、これまでに学んで吸収したものすべてが自分の表現の幅につながっているというか、知識や経験に無駄なものはないんだということは、最近強く感じます。
歌との出会いや歌手を目指すようになったきっかけは?
中学でテニス部に入ってからようやく友達ができて、生徒会にも入ったことで少しずつ社交的になりました。歌との出会いは高校時代で、友達と行ったカラオケでした。最初は恥ずかしくてただ聴いているだけでしたが、勧められて仕方なく歌ってみたら友達に褒められて、すごく嬉しかったんです。練習して上手になるにつれて、『私、歌うことが好きなのかも、得意なのかも』と思うようになりました。それを確信したのが高校3年の文化祭で、テニス部の出し物として友達とバンドを組んで、ステージで歌ったんです。観客の前で歌うのは初めてでしたが、その時の高揚感が忘れられなくて、『これをずっと続けていけたら、私の人生はきっと楽しくなる!』って直感したんです。日常では口にしないような言葉や思いを人前で大胆に表現できるのが歌の魅力で、それまで自分の中で眠っていたものが殻を破って一気に解放された、そんな感覚でした。
そこからは歌一筋で?
なにしろ高校3年の文化祭ですから、この時点で進路の後戻りができる状況ではありませんでした。友達みんなが受験勉強に励む中、看護師を目指していた私も勉強を始めていました。友達にも両親にも本当の気持ちを言えないまま、音楽は趣味でやっていこうと一旦は割り切りましたが、医大に進学してからも歌への思いが冷めず、軽音楽部に入って活動したり、個人的にボイストレーニングに通ったりしていました。結局そこでも踏ん切りがつかず、周りと同じように看護師の資格を取って、病院に就職しました。働きながら単発のライブに出場したりもしていましたが、どっちつかずなことをやっているなぁと自問自答の日々でした。
そんな中で転機になったのは、患者さんたちとの交流でした。私の配属先は重病の患者さんが多い病棟で、完治して帰宅できる方は少なく、若くして亡くなってしまう方もいる環境でした。新人なので多くのことはできないけど、せめて患者さんの話をしっかりと聞こうという気持ちではいましたが、自分の命が明日どうなるか分からないという患者さんの言葉は、やっぱり重いんですよね。私が趣味で歌を歌っていることを話すと、『歌が好きなら、どうしてたくさんの人の前で歌わないの?やれるうちにやらないと後悔するよ』って言われて、胸に刺さりました。私には本当にやりたいことがあって、自分でもそのことに気づいているのに、世間や両親や友達から見て、そんなことを言い出すのはカッコ悪いことなんじゃないかって、見て見ぬふりをしていたんです。そんな時、よく会話をしていたある患者さんが亡くなってしまいました。その方が『病室の窓から見えるモノレールに乗って家に帰る夢を毎晩のように見るんだよ』と語っていた言葉が頭から離れなくなって、もうこのままじゃいけないと思い、上司や両親と話し合いました。そして1年間だけ本気で音楽活動をして、それでも芽が出なかったらきっぱり諦めるという約束で、病院を退職させてもらいました。看護師長さんは『もし夢が叶わなかったらいつでも帰ってきなさい』と言ってくださり、両親も私の思いに気づいていたようで、反対することなく背中を押してくれました。私は本当に恵まれているんだなと実感しましたし、今も感謝の気持ちでいっぱいです。
ずっと前から
たどり着きたい場所があって
行ったことないけど
こんなにイメージできてる
『ハクモクレンの木』(詞曲:結花乃)より
ついにシンガーソングライター結花乃さんの誕生というわけですね。
それが、人生そううまくもいかないんですよね(笑)。すべてを賭ける覚悟で活動を始めたものの、音楽の専門学校に通いながらオーディションライブに出ても鳴かず飛ばず、自分で録音したCDをレコード会社に送っても、何一つ返事は届きません。カバー曲だけ歌っていても勝てないので自分で曲を作り始めたのもその頃からですが、約束の1年もあっという間に過ぎてしまいました。音楽もダメ、仕事もダメ、一人暮らしも楽しくないし、なんだかパッとしない毎日だなぁと感じるようになって、さすがにもう潮時かなと、専門学校を卒業するタイミングで夢を諦めようと思い始めていた頃、あるオーディションライブで今の音楽事務所の方に声をかけていただいたんです。後から聞いた話ですが、その方は注目していた別のアーティストをスカウトしに来ていて、たまたま聴いた私の歌声を気に入ってくださったそうです。本当に奇跡のような、夢がこぼれ落ちる寸前の出来事でした。
結花乃さんの曲を聴くと歌声の美しさが印象的で、それを存分に引き立たせる楽曲や歌詞にも魅力を感じます。
私は声に力があるタイプではないので、聴く人の耳元で話しかけるような歌い方を心がけています。曲作りについては、昔から本を読むのが好きで、ずっと日記を書いていたので、そういうものからヒントを得ながら言葉を紡いでいきます。メロディは浮かんだものをその場で口ずさんでスマートフォンに録音して、後で聴きながら膨らましていくことが多いですね。作ろう作ろうと集中するよりも、移動中やお風呂に入っている時など、リラックスした状態の方がいいみたいです。自宅の近くを散歩しながら曲作りをすることもあるので、富士市の曲に限らず、私の作品の中には地元の情景やイメージが反映されている部分がたくさんあるんですよ。曲作りでもステージ上でも、基本にあるのは聴いてくれた人の心に伝わる歌を届けたいという思いです。
歌いたいから歌うのではなく、聴いてくれる人がいるから歌い続ける、ということでしょうか。
そうですね。私が高校時代に看護師を目指したのは、祖母が入院した時に見た看護師さんの姿に憧れて、私もあんな風に誰かを救える人になりたいと思ったのがきっかけでした。今は本当にやりたいことに気づいて、音楽の道を進んでいますが、根っこにある思いは同じなのかもしれません。私の歌が一人でも多くの人にとっての支えや励まし、癒しになればと思っています。プロとしてはなおさら、何をしたいかということ以上に、何を与えられるかを考えながら、音楽と向き合っていきたいです。
また、夢を持つ人たちに伝えたいのは、本当にやりたいことがあるなら、まずは一歩踏み出してみようということです。私もまだ道の途中なので偉そうなことは言えませんが、なりたい自分の姿や立っている場所、気持ち、周りにいる人々の表情など、なるべく具体的にその状況を想像し続けることが大切だと思います。そうすることで、夢が叶った時の心境を先取りして感じられますし、どうすればそれを実現できるかという過程もリアルに見えてきます。心の中ではもう夢にたどり着いているんだから、後は自分の身体をそこに連れていくだけ、そんなの簡単じゃんって思えてくるんです。私が富土市に住んで活動しているのは、大好きな家族にちょっぴり甘えたいという気持ちもありますが、やっぱりこの町が私の原点で、ここから続いていく道が見えるからだと思うんです。心から安心できて、いつでも飛び立てる、特別な場所なんですね。オーディションに落ち続けてもうダメだと諦めかけていた頃、実家に帰った時にふと見かけたハクモクレンの白い花をモチーフにした曲を作りました。未来の自分にワクワクしていた学生時代の通学路で、青空に向かって咲いていたあのハクモクレンが、いつかたどり着きたい私の姿そのものなんです。
【取材協力】株式会社ピースボイスエンターテイメント https://peacevoice.jp/
【撮影協力】大観覧車フジスカイビュー
(中日本高速道路株式会社EXPASA富士川/泉陽興業株式会社)http://www.senyo.co.jp/fujiskyview/
Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino
Text & Cover Photo/Kohei Handa
結花乃
シンガーソングライター
富士市出身・在住
(取材当時)
ゆかの/須津中、富士高を経て浜松医科大学医学部看護学科を卒業。看護師として8ヵ月の病院勤務の後、以前から抱き続けていた歌手への夢を追い、音楽活動を開始。2016年9月、ミニアルバム「花一匁」でプロデビューを果たす。2017年2月には2ndミニアルパム『恋占」をリース。同時期に富士市のブランドメッセージソング「いただきへの、はじまり」を作詞・作曲から手がけ、2016年12月の「第7回全国工場夜景サミットin富士」ではオープニングアクトとして登場し、書き下ろしテーマ曲「特別な場所」を披露。各地でのライブやメディア出演に加えて、地元富士市での活動も積極的に展開中。
公式ウェブサイト
https://www.yukano-music.com/
- Face to Face Talk
- コメント: 0
関連記事一覧
Vol. 171|保護猫ボランティア団体ベルソー・デ・シャト...
Vol.149 |ボーイスカウト・野外活動家 髙村 賢一
Vol. 176|ずこうラボM 主宰 細野 麻樹
Vol. 179|美術家/演奏家 白砂 勝敏
Vol. 118|蕎麦職人 小林 孝
Vol. 121|富良野自然塾 中島 吾郎
Vol. 189|株式会社オールコセイ 早川貴規
Vol. 115|富士山かぐや姫ミュージアム 館長 木ノ内 ...
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。