栗名月の能舞台

趣のある東附属邸に到着

甫の一歩 第19回

気がつけば夏も終わり、やっと秋が訪れると思うと冬のような気温で、かと思えばまた夏のような気温に戻り……と不安定な日々でしたが、今年もいよいよ農繁期ならぬ「能繁期」がやってきました。以前のコラムでも書きましたが、秋は昔から続く正統的な催しが目白押しで、能楽師にとっては忙しい季節なのです。今回はそんな秋の催しから一つ、沼津市を舞台にしたものを取り上げてお話しします。

去る10月14日、沼津御用邸記念公園内にある東附属邸学問所(通称・東附属邸)にて催された『栗名月の宴』に参加させていただきました。栗名月とは、中秋の名月(十五夜)から約1ヵ月後の満月の直前、十三夜の月を指すもので、今年は10月15日でした。その時期に栗が採れることに由来する名称で、別名として「豆名月」「裏名月」「後の月」などとも呼ばれます。栗名月は日本独自の概念で、はっきりとした起源は不明ですが、一説には平安時代の宮中行事で、この時期に月見の宴を催したことから始まったともいわれています。

東附属邸は明治36年に造営された歴史的建造物です。昭和天皇の御学問所としての歴史を引き継ぎ、現代では文化教養活動の拠点として改修・整備されています。『栗名月の宴』はそのお庭、つまり屋外で、季秋の名月を眺めながら能の舞を堪能できる、という趣旨でした。催し自体は何年も続いているとのことですが、私は今回初めて伺いました。

さて当日のお天気は、快晴!この日は朝9時半から東京・神楽坂にある矢来能楽堂での小鼓の発表会に出勤し、これでもかというほど数多くの謡を謡い、やっとの思いでなんとか終えて、すぐさま沼津へ移動。と、じつに能繁期らしいダブルヘッダーでした。新幹線を三島駅で下車し、タクシーにて30分弱。16時頃に沼津御用邸記念公園に到着しました。タクシーを降りると、あたりはクロマツ林に覆われ、催しのために門の前には篝火が焚かれています。

開演前の風情も素晴らしい

このコラムでもたびたびお伝えしていますが、私は能楽を屋外で行なうことが大好きですので、この景色と匂いで疲労も吹っ飛び、大興奮でした。その後は日が沈むのを肌で感じながら準備をし、公演は宵の口に始まったのでした。屋外での公演はいつも天気との戦いで、しかも能公演に順延はなく一回限りが常なので、その意味で今年は大当たりでした。

能は敷居が高く思われがちで、なかなか観に行く機会は少ないかと思います。また、いざ行ってみようと思っても、どんな演目を観ればよいか分からないということもあるかもしれません。私はワークショップや解説の場では、よく以下のようにお話ししています。

能を観る時、ご自身が初心者だと思うのであれば、まずは屋外での演能会へ行ってみましょう。どんな演目を観たか、どんな役者の舞台を観たかは大事なことではありますが、それ以上に大事なのは、空間です。屋外で能を観れば、何百年と続いてきた能の歴史を自然とともに肌で感じることが、きっと叶うでしょう。

ご自身で能動的に能に触れようとすると、公演がこんなにも多く催されていることに気がつくでしょう。そして数多くの公演の中で、まずは薪能などの屋外公演を調べて、ぜひ観てみてください。能が持つ幽玄の概念を実感していただけると思います。

月と篝火に照らされて地謡を勤めました

田崎甫プロフィール

田崎 甫

宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」
田崎甫 Instagram

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