わずか六歩で旅行ができる、能の世界
甫の一歩 第2回
あけましておめでとうございます。宝生(ほうしょう)流能楽師としての一年は、元日より始まります。流儀の長老から若手までが一堂に会し、宝生能楽堂のある東京・水道橋にて謡初(うたいぞめ)(正月に謡を初めて謡う儀式)を行います。
本舞台の最前列に子方(変声期に満たない子ども)が、続いて若手より順に座ります。流儀のお家元が最後方に座られると、「礼」の言葉をきっかけにお辞儀をし、祝言の謡『七宝』を総勢約50名で謡い上げます。ふだんの舞台では地謡(コーラスグループ)は8名、連吟(れんぎん)といって謡曲の一部分を謡うときも多くて10名ほどなので、これほどまでの斉唱は謡初ならではの光景です。
新年の挨拶として、「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします」と言いますが、これを先生方全員に挨拶するのが子どもの頃の私はとても苦手でした。何度も同じ先生にしてしまったり、逆にできないまま舞台の集合時間になったりと、考えるだけで気が重く、「いっそ年が明けなければいいのに」と毎年のように思っていました。さすがに三十路手前の今ではそのようなことはありませんが、元日の朝に子方が一生懸命に挨拶しているのを見ると、そしてふだんは強面の先生がその挨拶を最後まで姿勢を変えることなく聞いてから返事をされる姿を目にすると、私にとって過ぎ去った懐かしい時間と先に続く険しい時間を同時に思い、何とも言えない気持ちになるのです。
能楽用語に「道行(みちゆき)」という言葉があります。旅行の経過を内容とする謡で、ある目的地に行く道中の光景や旅情などを述べる韻文体の文章のことです。
能楽は緞帳(どんちょう)、つまり客席と舞台を分ける幕を使わない、世界でも稀な演劇ですが、この空間で時間の経過を表現するのは至難の業です。ふつうの演劇では、緞帳を下ろす、暗転する、などで場面転換しますが、そのいずれもできない能楽は言葉でそれを表現しなくてはなりません。しかも道行には所作はほとんどなく、わずか三足出て、また三足で元に帰る動きのみです。この六足の動きと、七・五調のリズムで、諸国から都まで移動します。
雁金(かりがね)の花を見捨つる名残まで、古里思ふ旅心、憂きだに急ぐわが方は、さすがに花の都にて、海山かはる隔てにも、思ふ心の道のべの、便りの桜夏かけて、眺めみじかきあたら夜の、花の都に着きにけり、花の都に着きにけり
(謡曲 加茂物狂 道行ヨリ)
【現代語訳】
あの空を行く雁が花を見捨てて北に帰るのは、やはり故郷が恋しいからだろう。寒い北国でさえ、故郷となれば足が急ぐもの。まして自分が帰るのは花の都なのだから、海山遠く隔てていても帰りたい気持ちでいっぱいだ。道中では盛りの短い桜の花を眺めながら行くうちに夏も近づき、短夜の惜しまれる今日、美しい都に着いた。
最小限の動きで最大の表現効果を狙う能楽らしい方法ですが、このように移動途中の景色を言葉で表すことは、現代の演劇ではなかなかしません。昔は移動に何日もかかり、それを能ではわずか六歩で表現しました。しかし現代人は新幹線や飛行機などの乗り物を使い、高速で移動することができますので、むしろこの表現に違和感はないでしょう。
私は出稽古のため東京駅から新幹線で新富士駅まで来るのですが、その道中いつもこの道行について考えます。途中の小田原、熱海、三島などの高速で過ぎ去る景色を、七・五調のリズムで軽やかで美しい文章にできないか。能楽の持つ緩やかな時間の流れを今につなげることができるのではないか。などと思い巡らします。
田崎 甫
宝生流能楽師
たざき はじめ/1988年生まれ。宝生流能楽師・田崎隆三の養嫡子。東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業後、宝生流第二十代宗家・宝生和英氏の内弟子となり、2018年に独立。国内外での公演やワークショップにも多数参加し、富士・富士宮でもサロンや能楽体験講座を開催している。
田崎甫公式Web「能への一歩」
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