60代ライターの散歩道 【大淵笹場】

お出かけレポート

森に囲まれ、遠景に電柱や住宅などの人工物がなく、雄大な富士山とひな壇状の茶畑が仰げる富士市の大淵笹場。全国的に知られるこのビュースポットで『おおぶちお茶まつり』が開かれたので訪ねた。

茶畑と富士山 この景勝地を守り続けていこう!

 ところで、はずかしながらじつは長年富士市民でいながら、日本を象徴する富士山と茶園がマッチングした景勝地までの道順を知らなかった。富士市のホームページで確認すると、カーナビなどの住所設定を旧藤田邸(富士市大淵1516番地)にするとわかりやすいとあり、その通りに設定して出かけた。旧藤田邸は元市議会議員の故・藤田氏の遺族が富士市に寄贈した純日本家屋だ。出かけたのは5月3日。お茶まつりだったため、県内外からの来場者がとても多かった。運よく特設駐車場を利用できたが、人気の里山だから、イベントのない日でも時間に余裕をもって出かけたい。

目的地へと上る入口には写真入りの看板があった。その看板を右に見て、針葉樹林のあいだの農道を上へ、スニーカーの足を交互に動かして坂道を上った。針葉樹が居並ぶ上空に青空がすけ見えて、日蔭はひんやりと涼しかった。立ち止まって森林浴をし、爽やかな森の香で一息入れた。さらに上へと移動すると、普段は駐車場のスペースにキッチンカーが複数台あり、マルシェが開かれていた。食品などが売られていて、すでにフェスティバルの賑わいだ。

そこからまた上へ、左に茶畑、右に針葉樹林にはさまれた農道を行った。カメラを持つ写真愛好家、ツーリング・ブーツを履いたバイカー、子連れの若夫婦、熟年世代、外国人などのほか、お茶のCMロケ地だったからだろう、緑茶色のはっぴ姿の関係者がいたり、地元有志による売店前に人垣があったりで、あふれるほどの人の群れだ。本部テント付近まで上ると、群衆の中で富士市長がにこやかな笑みで記念撮影をしていた。

「やっぱりおまつりは賑やかじゃなけりゃ」などとひとりごちていると、どこからともなく4ビートが流れてきた。茶畑と富士山を背景にした舞台にサキソフォンなどを手にしたジャズメンがいて、モダンジャズを奏でていた。青空の下で聴くジャズは気持ちがよくて、客席にずっといたかったのだが、茶娘モデルによる撮影会があると知り移動。茶畑を前に、居並ぶカメラマンのこばっちょにスタンバイして、茶娘たちの出番を首を長くして待った。

舞台でジャズライブ

茶娘モデルは里山アイドル

 

茶娘モデルは地元の中・高校生らしい。みずみずしい新芽が陽光をはじく茶畑に、赤い前掛け衣装の茶娘が現れると、霊峰を背景にした美しい風景がパッと明るんで彩りを増した。一眼レフに望遠レンズをつけ、野球帽を後ろ向きにかぶったプロっぽいカメラマンもいるし、私のようなスマホ族もいる。いやはや、茶娘モデルの威力はすごい。背伸びをしたり、腰をかがめたりして、夢中で写真を撮り、ほぼアイドル撮影会のノリになった。

それは里山に風がなく、のどかな風景が心を軽くしてくれたこともあるだろう。日本のお茶栽培は約1200年前の平安時代から始まったらしく、大淵笹場でも古くから栽培が盛んだったそうだ。霊峰と茶畑は、どの時代であっても変わらず絵になる風景なのだろう。江戸時代、葛飾北斎が描いた浮世絵には(ここではないようだが)、富士山を背に茶畑で働く人々の姿が描かれている。時代が移ろっても絶景をずっと守り続けてきた地域の人たちに感謝をし、そして、茶畑に降りそそぐ光の中で、平和であることを愛おしくも感じた。

おまつり会場では、和服姿の女性たちが茶と菓子で接待してくれる『野点』も盛況だった。また、茶葉の天ぷらが食べられたり、新茶の試飲があったりもして、手打ち蕎麦やつき立てのお餅が食べられるテント前にも人だかりがしていた。大淵笹場には日本のふるさとの景色が残っていた。これからの暑い季節は、早朝や夕方が訪ねやすいだろう。みんなで美化にも協力しよう。

(ライター/佐野一好)

大淵笹場
富士市大淵地内

大淵笹場周辺地図

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