Vol. 115|富士山かぐや姫ミュージアム 館長 木ノ内 義昭

僕らのまちの博物館(ミュージアム)

富士市立博物館が約1年間の耐震・改装工事を終えて、今年4月にリニューアルオープンを迎えた。公募によって新たに「富士山かぐや姫ミュージアム」という愛称も決まり、その名の通り富士山とかぐや姫の物語を展示する世界でただひとつのミュージアムとして、順調な再スタートを切った。外観こそ以前と大きくは変わらないが、ひとたび館内に入ると工夫を凝らした映像や証明の効果も相まって、明確なコンセプトのもとに構成された展示品がいきいきとした存在感を放っている。 「博物館のリニューアルは富士市の文化財に関わる者にとって、長年の悲願でしたー」。そう語るのは、30年以上にわたって富士市の博物館運営や関連業務に携わってきた、館長で学芸員の木ノ内義昭さん。かぐや姫の物語をはじめとする地域の歴史・文化・伝承を市内外に広める木ノ内さんは、奇しくも「かぐや姫生誕の地」とされる富士市吉永地区で生まれ育った。優秀な人材が揃ったと自負する同館の学芸員やサポートスタッフとともに、今日も地域の魅力を発信し続けている。

月ではなく、富士山に帰ったかぐや姫

『富士山かぐや姫ミュージアム』として生まれ変わった博物館のポイントや見どころなどを教えてください。

今回のリニューアルでは、従来の建物を維持したまま展示・公開エリアを1.5倍に拡大し、時代ごとの展示や富士山南麓の富士山信仰に関する展示を充実させました。また、映像技術を取り入れた『富士山とかぐや姫』や『富士川舟運と渡船』、実際に手で触れながら学べるコーナーを新設しました。 そして何よりお伝えしたいポイントは、観覧料が原則無料になったことです。より多くの方々に何度も通ってもらい、地域の歴史や文化に触れる機会を増やしてほしいです。そのためにあえて観覧の順路を設けず、興味のある展示からそれぞれのペースで自由に見てもらえるように配慮しています。 西側の広見公園から直接入館できる入口を新設したことも大きな改善点で、公園を利用する方が博物館にもふらっと立ち寄れるような環境を整えました。ライブラリーやミュージアムショップも新設しましたので、ぜひ気軽に足を運んでもらえるとしいです。散歩中のひと休みやトイレの利用だけでも構いませんよ(笑)。

施設の充実に加えて、サービスの面でも工夫をしたそうですね。

一方的に見せるだけの展示ではなく、双方向のやりとりができる博物館を目指しています。館内では我々学芸員のスタッフはもちろん、『駿河郷土史研究会』という市民団体の皆さんにも案内役を務めていただいて、展示に関する質問や要望に可能な限り対応できる体制になっています。またフラッシュや三脚の使用を除く写真撮影を許可した上で、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアを通じた情報発信を促すなど、ある意味これまでの博物館とは真逆の発想で、より多くの方々に知っていただき興味を持ってもらえるように取り組んでいます。 リニューアルにあたっては、先進的な博物館の関係者など外部の有識者からもアドバイスをいただきました。ただし、オープンしたから展示は完成ということではなく、これからもまだ改善すべき点は出てくると思います。子どもからお年寄りまで、知識量や関心もさまざまな人が訪れるので一律に考えるのは難しい部分もありますが、博物館はあくまでも市民に開かれた学習の場ですので、どうすれば来てくれた人に伝わるか、理解してもらえるか、興味を持ってもらえるかということを、我々スタッフは常に研究し続ける必要があると思います。

展示の中でも「富士山とかぐや姫」には特に注力しているとのことですが。

竹から生まれたかぐや姫が月へ帰るという『竹取物語』は、日本最古の物語として広く知られていますが、富士山南麓にはかぐや姫が月ではなく富士山に帰るという独特なストーリーが古くから伝わっています。実際、富士市比奈周辺はかつて「姫名郷」と呼ばれ、地区内には『赫夜姫』や『見返り坂』など、かぐや姫伝説に由来する地名がいくつも残っています。ただ、博物館の展示として重要なのは物語の伝承やロマンだけではなく、近年の調査で発見された『六所家資料』(※注1)などの学術的な資料に基づいている点で、より説得力のある内容になっていると思います。 また学芸員である我々にとって一番大切な仕事は、次世代を担う子どもたちに地域への誇りを持ってもらうことだと考えています。大きくなって市外に転出したとしても、ふるさとを魅力あるものとして紹介してほしいですし、地元に残ってまちづくりに関わる際にも、自分の生まれ育った地域について自信を持って語れるということは大きな力になると思います。その点でも、日本人なら誰でも知っている『かぐや姫』というキーワードは最適なものだと確信しています。  

 

博物館には今回リニューアルした本館以外にも、さまざまな施設が併設されていますね。

分館である歴史民俗資料館や、各種ものづくり体験ができる工芸棟、広見公園内に点在する歴史的建造物や復元遺跡なども含めると、県内では最大規模、全国的にも数少ない豊富な学習と体験の場が揃った施設です。原則毎月第一日曜は『博物館の日』として、月替わりで手すき和紙や型染などの体験講座を開催していますし、日稲家住宅でもほぼ毎月『かやぶき農家の癒しのおんがく会』というイベントを行っています。さまざまな楽器の演奏を味わいのある古民家の中で楽しめるこの企画は予約不要・入場無料ということもあり、毎回大盛況となっています。 文化財は見るだけではなく、可能な限り実際に使ってみることで、より一層価値が出るものだと思います。その陰には博物館ボランティアの存在があって、各種イベントの開催・運営はボランティアの皆さんのご協力があってこそですが、これからも体験型ミュージアムとして、新しい取り組みにも挑戦していきたいです。

朝もやの京都で
ヒントを見つけた
16歳の夏

木ノ内さんご自身の経歴についてお聞かせください。

子どもの頃から考古学や歴史に興味があって、中学3年の時には友人と一緒に『郷土研究部』という部活動を立ち上げました。大学生に交じって、三島市の山中城跡の発掘調査に参加したこともあります。その後工業高校の電子科に進みましたが、歴史への関心は高まるばかりで、大学では国史学を専攻することにしました。当時、工業高校から文系の大学に進学する人はほとんどいなくて、進路相談では先生に「何を考えてるんだ!」と怒られましたけどね(笑)。 そこには高校1年の夏休みに友達と行った京都旅行が大きなきっかけになっていて、早朝に訪れた妙心寺という大きな禅寺で、朝もやの中、托鉢をしながら歩く雲水、つまり修行僧の集団を目にしたんです。まだ10代後半か20代前半くらいの若者たちですが、こういう世界があるのかと驚いた一方で、彼らの凛とした姿がかっこよくて、強く心に残りました。それ以降、京都で暮らしたいという気持ちが強くなって、妙心寺のそばにある大学に進学することにしました。下宿先も寺の一部のようなところだったので、早朝の座禅会に参加したりお経を読んだりという貴重な経験もすることができました。 私自身は寺や僧侶の家系ではありませんが、最近になって聞いた話によると、父方の先祖が白隠禅師(※注2)と関わりがあったそうなんです。白隠禅師といえば富士山のかぐや姫物語にも深く関わる人物で、彼が開山した富士市比奈の無量寿禅寺跡はかぐや姫が生まれ育った地とされ、現在は竹採公園として整備されています。また白隠禅師は『臨済宗中興の祖』とも称される名僧で、その臨済宗の大本山こそが、京都・花園の妙心寺なんです。偶然とはいえ、不思議な緑を感じずにはいられません。

そのご縁に導かれて、かぐや姫物語を扱う博物館の館長になったということですね。

大学時代は考古学の発掘調査で静岡県の教育委員会からお呼びがかかることが多くて、通算すると大学4年間のうち1年間くらいは発掘作業の現場にいました。泊まり込みで早朝から夜中までみっちりと鍛えられましたが、そのおかげで学生でありながら多くの実務経験を積むことができました。ちょうど卒業を迎える年に富士市立博物館がオープンしたことも幸運で、せっかく地元に博物館ができるならと、学芸員の採用に迷わず応募しました。そこから35年間、ほとんどの期間を博物館と市役所内で文化財保護行政を担う文化振興課、いずれかの配属を行ったり来たりして勤めてきました。民間開発が活発だったバブル期などは発掘調査の件数も多く、対応に苦労しましたが、その中でも現在広見公園内に移築されている旧稲垣家住宅の保存計画など大きな仕事に関われたことは印象に残っています。文化財の保護と展示は車の両輪のようなもので、どちらもやりがいのある仕事ですが、その両方に携われたことをありがたく思っています。 今回は博物館のリニューアルを館長という立場で迎えたわけですが、建物の老朽化による耐震補強の必要性や富士山の世界文化遺産登録など、ある意味で追い風となる環境もあってようやく展示の改善が実現できました。これまで博物館の活動にご協力いただいた市民の皆さんをはじめ、関係者の方々や頼りになるスタッフたちにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

テーマは、「富士に生きる」

読者の皆さんへのメッセージがあればお願いします。

最近は富士市でも『シティプロモーション』という言葉が多く使われるようになりましたが、これには大きくふたつの意味があります。ひとつは対外的な情報発言を通じて興味を持ってもらい、観光客や転入者を増やして、人・モノ・情報の交流を活発にすること。そしてもうひとつは、市内に暮らす人々に向けた情報や価値を提供することで、市民満足度を高めてもらうというものです。もちろん博物館の活動はその両方を意図していて、富士山視光や東京オリンピックなども視野に入れた、文化観光地としての魅力も高めていきたいところです。 ただ我々としては、誰よりもまず市民の皆さんに博物館と親しんでほしいと願っています。公立の博物館の使命は、自分の幕らすまちの歴史や文化を知り、自然災害や戦禍に立ち向かった先人たちの苦労に思いを馳せることで、地域への愛着を育んでもらうことです。今回のリニューアルで館内すべての展示に共通するテーマを『富士に生きる』としているのも、実はそんな思いが込められています。地域を知り、大切に思う心を育むために生まれ変わった博物館に、ぜひ一度足を運んでみてください。

※注1)六所家資料 2005年に富士市今泉の六所家で発見された古文書など、4万点以上にものぼる資料の総称。この中には江戸初期にかれた『富士山大縁起』など、かぐや姫伝説の変速を知る上で貴重な文献も数多く含まれている。六所家はかつて、富士山信仰の重要な拠点であった東泉院という寺院を代々営んでおり、廃仏毀釈によって明治初期に廃寺となるまでの間に受け継がれた貴重な資料は富士市に寄贈され、それらの調査・分析は現在も進められている。 ※注2)白隠禅師 白隠慧鶴(はくいんえかく/1686〜1769)。東海道原宿(現在の沼津市原)出身の江戸時代中期の禅僧。15歳で出家して諸国を行脚し修業を重ね、悟りを開いた。地元に戻ってからは衰退していた臨済家を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と称えられた。膨大な著作や独創的な書画を残したことでも知られる。

Title & Creative Direction/Daisuke Hoshino Text & Cover Photo/Kohei Handa

木ノ内 義昭 富士山かぐや姫ミュージアム館長 1958(昭和33)年4月12日生まれ(58歳) 富士市富士岡出身 (取材当時)

きのうち・よしあき/吉原第三中学校、吉原工業高校電子科を卒業後、花園大学文学部史学科(京都市)へ進学し、国史学を専攻。在学中、静岡県内における遺跡発掘調査に数多く参加。考古学の実務を学び、学芸員の資格を取得。大学卒業後、1981年4月の開館を直前に控えた富士市立博物館の準備室に学芸員として採用され、以後は博物館の運営と富士市の文化財保護行政を中心とした業務に携わる。2011年より同館の館長を務め、現在に至る。学生時代から趣味で続ける尺八では現在、琴古流尺八の第一人者である三橋貴風氏に師事。古典から現代音楽、子ども向けアニメソングのアンサンブルまで、幅広い楽曲の演奏をこなす。

富士山かぐや姫ミュージアム(旧富士市立博物館)

所在地:富士市伝法66-2 TEL:0545-21-3380 開館時間: (4〜10月)9:00〜17:00 (11〜3月)9:00〜16:30 休館日:月曜日(祝日は開館)・祝日の翌日 年末年始(12/28〜1/4) 入館料:無料(特別展開催時は別料金の場合あり) 公式ウェブサイト:http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/

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