60代ライターの散歩道 【はたご池公園】

お出かけレポート

ある日、読者からのメールが編集部に届いた。「北松野にある、はたご池を紹介しては?」とあり、編集長と協議の上、出かけることにした。自然池のある緑豊かな公園には、胸に染み入る伝説が残っていた。

哀愁を誘う伝説が残る隠れたミステリースポット

富士市内からの移動のため、富士市北松野にあるはたご池公園へは、以前に紹介した富士川に新しく架かった富士川かりがね橋を車で渡り、木島交差点を右折して、ゴルフ場のリバー富士方面へと向かうルートをとった。ちなみに木島交差点を左折すれば富士川楽座は目と鼻の先。ドライブの寄り道候補になりえるだろう。

目的地のはたご池公園までの終盤のルートは、うっそうとした森が迫るくねくね道だった。じつは最近、バッハにハマっていて、この日もイングリッシュ・コンチェルトなどをBGMにカントリーサイドをドライブしたのだが、スラロームする舗装道路の両側に雑草や小枝が雑然とし、高いこずえのすき間を抜けて、夏の輝きがピアノ曲を奏でるようにアスファルトの上でおどってはいたが、時速は30キロでゆっくりと車を走らせた。

標高367mの丘陵の頂近くにあるはたご池は、春は桜が見事だそうだ。遊歩道や芝生広場があり、水深約1.5mの池には鯉や亀がいて、季節によってはピンク色のササユリが美しく咲きそろうそうだ。池の周囲は200mぐらいあり、芝生広場のベンチ近くは、富士山が日本一美しく望めると賞賛されている。まあ、なにより、出かけて歩くと健康的でいい。街中の食い歩きもいいが、森に囲まれた静かな公園は、空気をごちそうに味わえるのが魅力だ。

全容がわかる案内看板

ところで、はたご池の『はたご』とは何のことだろうか?『はたご=旅籠(宿)』ではなかった。じつは、地元の乙女がこの池に浸かって身を清め、それから神に奉納する機織りをしたことから、そんな名称がついたらしい。『お清めの水』と呼ばれるように、水は古くから神聖なもの。例えば、滝に打たれる、冷水を浴びる、いわゆる『水ごり』によって、汚れを清浄する風習は、各地で見られる。

この地域では、くぼ地に清水がたまった池に浸かる行為が水ごりと同意の『みぞぎ』で、乙女たちが霊峰の望める池に浸かって心身を清めた姿は、さぞや美しい光景だったろうと想像した。

だが、池にまつわる伝説はもう一つ。それは哀愁を含んだ物語だ。そのむかし、姑が嫁に機織りを命じた。つまり義理の母が息子の嫁に強いたわけだ。ところが、期日までに織れないことから、嫁がそれを苦に池に身を投げて自害した、とそんな物語。ずいぶんな伝承だが、古い時代の話だから、子は親に逆らえなかったのだろう。しかし、例えば武士が自刃して気高い精神を残すように、その嫁も入水することで神への献身を貫いた、と私は思いたい。嫁の心根には義母への義憤はなく、ただ潔く、神に対する永遠の水ごりをしたのではないか。

私の知り合いの家では、姑と嫁が遺産相続でガチでやりあっていて、息子はただ右往左往している。それに比べれば、なんとも高尚な話となる。池のほとりを歩きながら、現代人には理解の及ばない、悲しくも美しいヒロインの心根を勝手に想像し、センチな気分になった。そぼ降る雨の日や夜半に、今でも池のほとりを歩くと、池の中から機を織る音が聞こえてくるとも伝わり、人知れぬミステリースポットでもあるようだ。

無風の遊歩道からサングラス越しに池を眺めれば、伝説が残る池に風紋はなく、対岸の芝生広場までを緑色ののっぺりとした光彩が占めていた。湧き出る水のせせらぎは、一度はくぼ地にとどまって、いずれ不動沢へ流れ出ていくという。無常は人の世も同じだが、四季折々、地元に残る自然池のほとりに立ち、ふと古の伝説を自分なりの物語に変えて心に綴ってもいいだろう。
 

雰囲気のある遊歩道

白い野草を見つけた

(ライター/佐野一好)

はたご池公園
富士市北松野2701-1
駐車場あり

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